「学ぶ」とはなんだろう。その4

 

自分は、一体何を学びたいのか?

 

そもそも自分は何かを学びたいのか?

 

正直、今になって、かつて学校に通っていたときのように、教科書とノートを広げて、大学受験のような大いなる目的向かってガリガリと学ぶ姿には、あまり興味が無い。

 

強いていうのならば、

 

僕は「哲学」がしたいのだ。たぶん。

 

美しい人になるための旅をしている。

そのために、美しいと思った人の所作や、

美しいと思った物の造形を見たり聞いたりして、

自分との差異を確認して、

自分としてどう動くべきか、どう動けるか、を考えて、

歩いて、止まって。また考えて。また歩く。

それを繰り返しながら、じわじわと最終ゴールである美しい人に近づいていく。

そんなことをやりたいのだろう。

そのために必要な知識や技術があるのならば吸収をしたい。

それを「学び」と呼ぶのなら学びたいのだと思う。

 

であれば、ほぼ日の學校には「哲学」を学ぶために入学したのかもしれない。

そこで吸収した哲学を主目的である「良い絵画を描く」に展開する。

それが、今自分にとっての「学び」であり、「學校」なのかもしれない。

少なくとも世間一般でいう學校とは全く違うものである。

 

まあやっぱり要するに、未だモラトリアムなんです。

なんかもう少しで抜ける気もするのだけど.......まだまだの気もします。

だからこそ、の「學校」なのでしょう。□