自分は、一体何を学びたいのか?
そもそも自分は何かを学びたいのか?
正直、今になって、かつて学校に通っていたときのように、教科書とノートを広げて、大学受験のような大いなる目的向かってガリガリと学ぶ姿には、あまり興味が無い。
強いていうのならば、
僕は「哲学」がしたいのだ。たぶん。
美しい人になるための旅をしている。
そのために、美しいと思った人の所作や、
美しいと思った物の造形を見たり聞いたりして、
自分との差異を確認して、
自分としてどう動くべきか、どう動けるか、を考えて、
歩いて、止まって。また考えて。また歩く。
それを繰り返しながら、じわじわと最終ゴールである美しい人に近づいていく。
そんなことをやりたいのだろう。
そのために必要な知識や技術があるのならば吸収をしたい。
それを「学び」と呼ぶのなら学びたいのだと思う。
であれば、ほぼ日の學校には「哲学」を学ぶために入学したのかもしれない。
そこで吸収した哲学を主目的である「良い絵画を描く」に展開する。
それが、今自分にとっての「学び」であり、「學校」なのかもしれない。
少なくとも世間一般でいう學校とは全く違うものである。
まあやっぱり要するに、未だモラトリアムなんです。
なんかもう少しで抜ける気もするのだけど.......まだまだの気もします。
だからこそ、の「學校」なのでしょう。□