いよいよカウントダウンだ。
絵はできていない。※
が、何とかしようという気持ちは最高潮に高ぶっている。
いわゆる「ハイ」という状態なのかもしれない。
(終われば「灰」になるのかもしれない、、笑)
今、目の前にある絵は、人に見せられたものではない。
それをなんとか見られるようにするために、考える。
「もしかしたら、ここに1手入れたらよくなるかも?」
そんな仮説を立て、1手入れてみる。
違う。
そしてまた考えて、1手入れてみる。
・・・そんなことを、延々と繰り返している。
将棋をやっているような気持に近いのかもしれない。
これまで「できた!」と手ごたえを感じた作品には、こんなフェーズはほとんどなかった。
うまくいくときというのは、描いている最中「突然、できている!」ことに気づいて、あとはそれを壊さないように、最終日調整を少ししたら、もう完成している。
だけど、今回のように(というかこういうケースの方が大半だが)、なんとかするためになんとかする。というわけのわからない、延命措置のような事態に追い込まれた絵は、たぶん、結局、うまくいかない。
どこかで「次回への課題!」と宣言して、いったん筆をおくしかない結果になる。そんな悲劇的結末となることを、今うすうす感じてはいる。
だけど、この「なんとかしよう」「生み出そうともがいている感じ」は、自分は好きだ。
いわゆる「スリル」である。
描く中で一番好きなフェーズは「構成」だが、思えばこの絵を完成させようともがく「スリル」のフェーズも好きかもしれない。
「スリル」は必ず経るフェーズではなくて、感じずに終わっちゃうこともある。
本気スイッチのようなものが入らないとたどり着けない境地だ。
それは、誰もが登頂したことのない山の山頂にたどり着いたような「孤高の気分」に近い。
そこはゴールではなくて、通過点ではあるが、「誇り」に至る貴重な通過点だ。
パチンコで言えば「リーチ」という感じか。フィーバーする条件を達成した。あとはフィーバーを待つという状態。
いつも思うのだが「作品を作るというのは、こういう状態なんだよ」という今の状態を、体に永久不滅に焼き付けたい。
下山すると、これだけ一体化していた「スリル」や「緊張感」を、夢だったかのように忘れてしまう。
この状態をいつでもどこでも常時ONにして、引き出せるとしたら、必ずすごいものが作れると思うのだ。が、それができないから「凡人」ということになる。
世界で活躍している多くの著名な人々は、その引き出しをもっているのではないか。彼らはいつもONであり、ずうっと、このクライマックスの「スリル」や「緊張感」の中で泳ぎ続けている。それこそを「天才」と呼ぶのではないか。
自分は、いつでも、今の、この状態を引き出せるよう、せめてもの自分へのメモとしてこれを記録する。□
※現時点の残り
・F30号(ご本尊)
・S20号
・F10号×2=いったん完成としていたが気に食わないので手を入れたい
・ペン画2枚
・小品
・その他雑務=額装、キャプション作り、お礼状作成、芳名帳作成