「自分」と「若い人」との間に、
線引きをするようになったのはいつからだろうか。
かつては「若い人」だった自分も、気づけば「中堅」を越え「ベテラン」というカテゴリーに入れられるようになってしまった(その肩書にふさわしいスキルがあるかどうかは別)。
その線の堺はどこにあるのか。
年齢で観れば、40歳くらいでその境界が切られるように感じる。
AIを「友人」とみなすか「敵」とみなすか。
あるいは、「守る人」と「攻める人」かもしれない。
そのあたりにも境界があるかもしれない。
「若い人」という言葉の裏には、「自分は守る人だから(攻めない。攻めるのは若い人の仕事)」という言い訳が含まれるように思う。
これまで積み重ねてきた経験や知識をしっかり抱きしめ、守り、傷つけず、それで残りの人生を逃げ切ろうとする宣言である。
若いころであっても、新しいものや変化についての警戒や脅威はあった。
新しいものは誰だって怖い。
でも結局ふりかえれば、それでも適応して生きてきた。それが「若い人」というのならば、「守る」姿勢に転じるはいわゆる終活の入口かもしれない。
自分は何を守ろうとしているのだろうか。
そもそも守るものなんてあるのだろうか。
まだ戦いたいという気持ちもある。
だってまだなにも成し遂げられていないもん。□