「え、そんなにやってんの」
アトリエの忘年会で、この二か月間にやってきた自分の育児への取り組みを話したときの、女性陣の反応。
食材の調達・買い物、調理、食器の片づけ、ごみ捨て、おむつの交換、ミルク作り、哺乳瓶の洗浄・消毒、夜勤による夜泣き対応、沐浴、うんちで汚れた衣類のハイターによる洗濯........。
まあ、確かにやってるな。我ながら。
アトリエの女性陣の多くは、とっくに育児を卒業し、今や孫がいたりいなかったりの方々。いわゆる「昭和の母」で、育児の仕事をほぼワンオペで乗り切ってきたベテランである。
聞けば、旦那はおむつ替えすらしたことがないとか、1回だけ沐浴をしてくれたとか、逆に働く旦那が寝られるように夜泣きする赤ちゃんを外に連れ出してあやしたりしていたとも。宴会も仕事の一環だからと、文句も言わず送り出していたと。
........聖母マリアか。
この二か月間は、かつての「昭和の母」がすべて単身で受け入れていたことを、男である自分も同じ目線で受け入れ取り組む。という期間だった。
振り返れば正直、本当に苦しくて、ここに聖母マリアの救いの手があったら......と今も強く思う。
育児休暇を取ってみて思ったことは、二人がかりで取り組めば楽になる。というものでは全然なかったように思う。
育児の仕事全体を1.0としたとき、
女性0.9、男性0.1となっていたかつての分担が、
女性0.5、男性0.5になるということかと思っていたのだが、
女性1.0、男性1.0になってしまった。ということだった。
育児の仕事は、上限が決まっているわけではなくて、マンパワーが増えたら比例して増えていくのだった。
結局、時間や労力が増えたら、あれもできるこれもできる、あれもやらなきゃこれもやらなきゃ、となって仕事が増えちゃうから、結局それぞれがフルパワーで働いてしまって、楽になるどころか、お互い苦しんでいるという。
男性も育児を。ということで、仕事を休めるように推奨したり、育児に取り組める時間や給金を与えるようにする。のが、社会がとりうる一見相互で納得のいく対応のようだが、それでは育児の大変さを解消する決定的な方策にはなりえないようだ。
まあ、日本の経済成長から今の時代まで俯瞰してみても、戦後に比べれば圧倒的に便利で豊かになったはずなのに、相変わらずみんな忙しくて、どういうわけか少しもゆとりなんてできてない。ということが、そのまま、新しい育児にも出てきているということなんだろう.....。
ただ、お金や時間が増えても、また次の仕事や欲望で、埋めてしまうから、永遠にゆとりなんてできない。
これは人間のサガなんだろうな。。。□