今日の映画 「TAR」

 

 

キネマ旬報ベストテン外国映画で1位であった。

 

見終わった後の、一番の関心(というか願い)は、

 

「リディア・ターって実在するの?実在してほしい!」

ということだった。

 

だけど、実在する人やモデルは居ないということを知り、一気に気持ちが萎えた。


映像も、脚本も、リディア・ターの存在感も、すごい。

だからこそ、映画を見た後も、彼女は今どうしてる?が気になってしまったのだ。

でも、実在しない。リディア・ターは架空の人物ということがわかっちゃったとたん、なんだろ、登っている梯子を取り去られたような。ハラハラした自分が馬鹿のように思えてしまった。

映画ってのは多くは虚構だし実際に無いことを作るものだから、その感覚はおかしいのかもしれないけど。

 

思えば「フォレスト・ガンプ」が、好きではなかった。
架空の人物ならばどこまでも作ってしまえるのだから、そりゃすごいに決まってる。
ピンポンで圧倒的な記録を残したり、海老の会社を立ち上げて大成功したとか聞いても、そりゃ架空の存在でしょ?成功するように作ったんだから当たり前でしょう?と思って、萎えてしまう。
どうやら、自分は、等身大の人間に架空を当てはめるのが好きではないらしい。

 

架空に振るのなら、マーベルみたいな、絶対にありえない圧倒的な「怪物レベルの存在」にまで振らないと、驚いたりできない。そして、その対極は「実在する存在のすごさ」だと思っている。

 

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」のフランク・アバグネイルJr.

「グリーン・ブック」のドン"ドクター"シャーリーとトニー・ヴァレロンガ

「ブラックスキャンダル」のジェームズ・ホワイティ・バルジャー ...

彼らの凄み。こんなのが本当にこの世に居たのか、という衝撃。

そこを見たいのである。□