幼いころ、実家の隣は、テーラー田中という仕立て屋だった。
テーラー田中は、昭和初期かと見間違うような、非常に古い木造建築で、当時でも、誰もが目を止めるほど、周りの景観から浮いた建築だった。
今だったら重要文化財にでもなったかもしれない。
実際、当時ドラマの撮影に使われたこともあり、カメラが来ていたこともあった。
とはいえ、田中家の父はタクシー運転手で、母は主婦だったようで、テーラー事業はその祖父たちの代で終わっていて、店構えだけはテーラーを残しながらも、普通の住居として使われていたように記憶している。
テーラー田中の左側には、鍵のついていない、押すだけで開閉する裏口に通じる木の扉があって、奥にコロという犬が飼われていた。
飼われていたといっても、ほぼ放置状態で、つながれてもおらず、彼はいつでも、好きな時に、木の扉を押し開け勝手に散歩に出かけ、しばらくすると戻ってきていた。
小学校の帰りに、コロがチャっチャっとコンクリートを蹴りながら、うろうろと町の界隈を散歩している姿をよく見かけた。
凶暴な犬ではなく、吠えることもほとんどなく、人には慣れていたから可愛がったりもしたが、もし今であれば、通報されてどこかに連れていかれてしまっていただろう。
あのころは、誰もがみんな、おおらかな時代だった。
田中家の父は、タクシー運転手で、家の前にタクシーがよく停まっていた。
少し田中邦衛に似ていた記憶がある。同じ田中なのは偶然だったのだろうか。
ふだん、タクシーの制服を着てサングラスをかけ、ムスっと立っている姿を見ていたから、ずっと怖い人かと思っていたが、何年かして、老朽化したテーラー田中がついに取り壊されることになって、その後新しいアパートができ、田中邦衛パパが大家ということになった。
田中邦衛パパは、タクシーの運転手を引退して、新築したアパートの一階にテナントエリアをつくり、コンビニのような店を開業した。
お菓子やら生活雑貨が並べられており、お菓子が好きだった自分はその店によく通った。
その時、初めて田中邦衛パパと話したのだが、にこにこと気さくなおっちゃんで、タクシーの運転手をしていたときに思っていた怖いイメージとは真逆だったことに驚いた記憶がある。その店は、数カ月もたたないうちにつぶれてしまったが。
田中アパートは半地下にも掘り下げられて、そこもテナントになっていたが、しばらくすると、ゲームセンターが開店したことには驚いた。
当時からテレビゲームが大好きだったが、ゲームセンターは不良がたまる場所というレッテルを張られて、小中学生は親同伴ではないと行くことを禁止されていた。
家が隣だったから外出するとき、丁度ゲームセンターから出てきた同級生らと挨拶を交わすことも多くあった。
ゲームセンターは思いのほか長い間、繁盛して、多くの不良とゲームファンのオアシスとなっていた。
親に行くなと言われたことは一度も無かったが、いい子で居たかった自分は、ばか正直に、閉店まで結局一度もそのゲームセンターに足を踏み入れたことは無かった。□