ファミコン四十年生を読んでいて、
改めて、
と思う。
以前、フィレンツェを歩いていたとき、今まさにルネッサンスの風を受けている。と感じたのと同じことを、時代も場所も規模も違えど、ファミコンも起こしていたのだと思うのです。
誰もが一斉に同じ方向を向き、良いものを生み出すために、総力を多角的に結集したような芸術的爆発が、ファミコンにもあったのです。たかがファミコンという輩もいるかもしれない。が、されどファミコンなのである。
ファミコンが世界に引き起こした爆発的なビデオゲームの革新に加え、あの時代を生きたファンたちと、クリエイターたちとの証言そのものすら、今や「作品」になっている。そんな奇跡の商品開発があったことっていうことが、もうルネッサンスとしか例えようがない。
当時に比べて、今の世の中はいっそう便利になって、優秀なクリエイターたちも圧倒的に多いはずだけど、ファミコンと同じ爆発をもう一度起こせと言われても、決して起こすことはできない。
フィレンツェをもう1つ作って。と言われても、誰もそんなことはできないのと同じように。
すごい時代を一緒に生きてきたのだなぁ、と、ファミコン41周年を今改めて振り返っている。□
追伸。
「ファミコン四十年生」には、宮本茂・堀井雄二・高橋名人・シブサワコウの巨頭インタビューが掲載されていたが、四十年生にはきつかろうと思うほど小さな文字で紙面が埋め尽くされていたwww。
おそらくクリエイターたちも「語り尽くしたかった」のだろう。
そういうものです、ファミコンという「事件」は。□