「のろけているんじゃないか」
この1年、機会があれば育児の苦しみの毒ガスを
周囲に吐き続けてきた。
人生で屈指、もしかしたら一番苦しいかもしれない
このエンドレスな現象を、誰かに知ってもらいたい、
共感してもらいたい、慰めてもらいたい、
そんな気持ちで、自分一人で解消できないストレスを
周りへの迷惑も考えるいとまもなく吐き続けてきた。
が、それに対し、今になってこの言葉。
絵を見たら苦しいどころか豊かになってる。
おまえは苦しいとか言ってはいるが、
ただ、のろけているだけなんじゃないか。と。
は?
俺のどこがのろけてるんじゃ。
これまでどれだけ苦しみを伝えてきたと思ってる。
と、失望と憤りの混じった気持ちで聞いていたが、
改めて考えると、
育児とは、例えるならば、
地獄の業火の中で釜茹でにされながら、
食べ放題のハーゲンダッツアイスクリームを食べている。
.......というようなものである。
天国と地獄の稀有な共存共栄。
育児や家事でプライベート時間のほとんどが奪われ、
どれだけがんばっても、労いや礼、激励等一切なく、
あるのはむしろ、恫喝や中傷の言葉のみ。
が、対して、
無垢に笑いながら部屋を走りまわる子供の姿をみると、
その地獄が一瞬帳消しにされるような光を浴びたような気持ちにもなる。
天国と地獄という水と油が同じ居住空間の中に拮抗する。
そんな人生でも稀有な状態が展開されている。
のろけてるんじゃねえの。
という声は、俺が業火の中で釜茹でにされている姿ではなく、
手元にあるハーゲンダッツアイスクリームだけを見ていた。
ということなのだろう。
確かにそこだけ見たらのろけているように見えるのかもしれない。
でも、見てほしい、共感してほしい、励ましてほしいのは、
釜茹でにされているところだから。
改めて自分は、のろけてなどいない。□