路傍の石

自分が社会から求められているということも実は思い込みであり虚無である。



結局人間、誰であろうといなければいないで世界は回ってしまうのである。



例えば社長であっても、代りとなる存在が居てしまう。代わりが居ない場合は会社が倒産するかもしれないが、社員からみれば別の会社の社長に従属して世界が回っていくだけだ。
例えば大リーグの松井であっても、イチローであっても。彼らがいなかったらいないで代わりは出てきてしまう。たとえそれが100年に一人の逸材と言われていたとしても、裏返せば100年待ったら代わりが出てきてしまうのである。



人はそのように悲しい存在である。



生きがいというものは自分が誰かに求められていると「思い込む」ことで生まれるが、やはりそれは「思い込み」でしかない。突然自分が行方不明になっても結局世界は回ってしまうのである。
つまり、その人でなくてはできないこと、など存在しないのである。いなかったらいないで別の誰かがやるだけである。
こう考えると自分が社会から求められているとかいないとか。そんなことは気にするだけ無駄ということになる。周りの脚光を浴びる一部の人々に対して劣等感など持つ必要もない。



人は皆、路傍の石である。□