マトリョーシカ

 

人生の先輩たちの、幾多の修羅場を超えてきた、

経験や含蓄に敬意がある。

だが、そんな敬意の中にも、

ひとつの決定を下すのに、やたらと時間がかかったり、

ようやく決定したことを差し戻したりする姿を見ると、

少なからずもいらだちを感じてしまったりすることがある。

経験や含蓄を持ちながらも、

肉体的な衰えや、保守的な思考がそれを妨げているように感じるのである。

 

だが、

自分が、若手から見られたとき、自分が先輩を見るとき感じたことと、ほぼ同じようなことを、彼らも感じているのではないだろうか。

若手は、自分を経験や含蓄があるもの。とみているのではないだろうか。

だが同時に、新しいものへのアンテナは錆び、判断や決定が遅い。とみているのではないだろうか。

たぶん、概ねそれは間違えてはいない。

 

結局、人は、繰り返すのである。マトリョーシカのように。

 

自分はどのように構えていたらよいのか。

そう考えたら、先輩をみたらいい。

先輩のかっこよい姿を真似て立てばいい。

先輩のかっこ悪い姿を避けて立てばいい。

 

彼らが期待しているとおりではないかもしれないが、自分が持っているとされている経験や含蓄とやらを、自然に見せていたらいい。そう簡単にはいかないかもしれないが。

それでいいのだと、思う。□