語る。料亭。

 

「男は黙って仕事するんだ」

 

なんてことを高倉健さんが言っていた。

仕事だけが世に見える「公」の姿、接点であるとして、
「私」の姿をほとんど見せることはなかった。
その哲学には、僕自身もすごく影響を受けている。
絵画を制作する姿はとても無様なものだし、
世の人たちには完成した作品だけを見てもらって、
それぞれを感じてもらったらいい。
僕自身は黒子として裏に回る。出しゃばらないのが良い。
そんな姿に憧れるし、それを実践している。

 

美味いお店と言われる店を調べていると、ほどほどに「語る店」が多いように思う。

店長として、料理長として、どれだけ素材にこだわり、お客様満足を目指し、日々がんばっているか、苦労しているか、そしてその結果、絶対に損はさせない。絶対に喜んでもらえる。といったことを、つらつらとホームページやらSNSに書き出している。

すごく期待値を上げてくるこういう店は、だいたい、「すべる」。

この言葉の過多とする理由は、いくつかあるのかなと思ってる。

 

1.これだけがんばっているのだから、どうか不味くても許してほしい。という言い訳

2.料理だけでは語り尽くせないことを、言葉で補って100%にしようとしている

3.自分への期待値を引き上げて、自分を追い込む手段にしている

4.ただのおしゃべり好き。自分の人間を語りたい。

5.その他?

 

画家や料理人を、アーチストというひとくくりで見るのならば、個人的には、やっぱり「作品のみで100%語り切るべき」だと思う。

また、期待値を上げられても、失うばかりだ。
だいたい客と言うものは上げられなくても上がっていくからほっといてもいいのである。これまでこういう言葉で期待値を上げて臨んで、よかったというためしはほとんどないので、むしろマイナスから入るくらいの方がいいという経験をしている。客として期待値を抑える精神的な力が必要で疲れてしまうのでやっぱりほっといてほしい。

 

まあそれでもあたりのお店はあるのだけど。

 

えてして、言葉はあまりいい結果を生まない。

自分としてはほどほどにしたいと思う。□