同窓会で撮られた写真を眺めている。
ものすごい数だ。
かつてのアナログカメラであったら現像したり郵送したりで共有はとても大変だったろう。
でも今はスマホの時代だ。誰もが写真や動画を気軽に撮り、すぐに共有ができる。
改めて、ありがたい時代になったと思う。
写真を眺めていると、クラスメートの登場回数のランキングが見えてくる。
写真にうつっている回数から、その人の「存在感」が計れる。
やはり、当時の元気な人、ムードメーカー、ヒーローの写真が多い。
そういう性格は何年たってもかわらず、会場でもみんなに声をかけて話し込んでいるから、写真にも頻繁に登場する。
次に、そういう人の横にいて話を聴いたり、コミュニケーションをしていく人も聞き上手としての存在感で写真によく出ている。
自分の写真の枚数は、3~4枚程度。
少ない。存在感としては中の下くらいだと思う。
だけど、そのくらいが自分にとっての当時からの居心地のいい場所だったのだろう。
あのときから、全体の中でのもう自分のだいたいの位置は決まっていて、数十年たってもやっぱりそういう位置にいるのが、自分の見えないアイデンティティなのだろう。
今はもう、それぞれの現実の中に生きていて、当時のそんなランキングなんてのはもう何の効力もないのだけど、当時のまま時間が停まっているクラスメートたちが集まれば、やっぱり当時のヒエラルキーに引き戻されて、コミュニケーションをしてしまうのだろう。□