もしも強盗が家に入ってきたとき、
暴漢術を身につけた人ならば、
襲い掛かってくる敵を軽くかわし、
一撃で締め上げるだろう。
だけど、そんな術が無い多くの人は、
逃げ惑いながら、手近にある本やら
モノを手あたり次第に片っ端から
投げまくったりしている。
しかも、それらは敵に全く当たって
いなかったりする。
いわゆる自分も含めた、自称「ワーカーホリック」の正体は、
この「暴漢術を手にしない一般人」のようなものではないか。
あまりにも早すぎる現代でなにかを生み出さなくてはいけない
という強迫観念がありながらも、ど真ん中を刺すような出力が
できない、成果が出ないものが、次々といろいろなものに手を
出して、何かをやっているようなフリをしている。
一見、単位時間あたりに取り組んでいる仕事は多く見えるかも
しれないが、結局何が出てきた?とよくよく目を向けてみると、
それは張り子のトラのようなもので、中がスカスカだったりする。
ことばも仕事も何もかも、急所を突くものが1つあればいい。
でも、その1つが出せず、片っ端から手近にあるものにしがみつく。
そんなのが、自分の毎日だと思う。
この時代、成果なんて簡単に出ない。
簡単にインプットされるもの、アウトプットされるものは
アウトプットのふりをした単なる「消費」であり、
決して決して「成果」(=コンテンツ)ではない。
最後は、やっぱり「誇り」です。
自分のアウトプットを自分が心から許せるかどうか。誇れるかどうか。
たとえ時間がかかっても、良いものを、誇り高いものを1つ。
おちついて、もっと深く考え、作っていこう。
周りの早さに慌ててはいけない。流されてはいけない。
結局、そこに戻っていくのではないか。人間だもの。□