ほぼ日の學校ノート 西成活裕先生

 

最近、というかずっとだけど、

時間の無さを嘆いたり、

パニックになったりしているのは、

かけた時間に比例して成果がでないことに

長くつかりすぎているからだろうと思う。

 

3月に3つの作品を作らなくてはいけないが、

構成がまとまらない。

制作は釣りに似ている。

いつ釣れるかはわからないが、ずっと釣り糸を

垂れ、待たなくてはならない。

しかもやっかいなのは、前回つった魚よりは

同じかそれ以上のものを期待するから、

やればやるほどハードルがあがっていくという

システムなのである。

歯を食いしばって待つしかない。

 

時間の無さを嘆くことが無い人は、

概ね使った時間とそれに対する見返りの

バランスにある程度満足している人か、

バランスが悪くてもこんなものだと受け入れちゃっている人なのだろう。

その割り切りが自分にはなかなかない。

どうしても時間に対する対価に執着してしまう。

 

ほぼ日の學校の西成活裕先生の「渋滞論」を聞いて、

今自分の中は、重度の渋滞に陥っているのだろうと、思い至った。

急がば回れ」がほぼ究極の答えであることが

数理的にも証明されているのならば、

10個やりたかったことを半分に減らしてみたり、

ちょっと遠回りしてみたりするべきなのだろう。

 

一旦立ち止まる。

アウトプットの作業数を減らす。そして、

インプットする作業を盛り込んでみよう。

インプットは確実に時間に比例して成果が出る。

そこで少し渋滞整理ができるのではないか。

 

焦る気持ちは高いけど、一度ここで冷静になって、

急がば回れする。

 

酒でも飲みながら、大河ドラマでも眺めてみよう。□