ほぼ日の學校ノート 市原武法先生

 

沈没寸前で90度に傾いたタイタニック号、と例えられた

少年サンデーを起死回生で復活させた編集長。

 

「少年サンデーを日本で最も愛している」と語っているが

愛しているだけでも、これだけの改革はできないと思う。

編集という仕事に、形のない面白さがあり、それが偶然にも

市原氏の興味に刺さったということと、

少年サンデーをもっと面白くできる、改革できると宣言し、

それを成し遂げるだけの情熱やセンス、体力、スキルが

あったということ。

 

そんな快挙に倣って、では明日から自分も同じように

業務に没頭できるかといえば、そうはいかない。

マンガ雑誌の編集部という世界にも、とてつもない怪物がいて、

プロジェクトXを成し遂げていたという事実を追体験しただけである。

 

逆に、漫画を描く作家の視点でこの講義を視聴すると、

週刊少年サンデーという雑誌を支えた超人ともいえる作家たちが

いてこそなんだけど、

そこにたどり着けずに消えていった作家や、

今も戦い続けている無数の作家たちもいる。

 

例えると、

歴史の教科書では「源頼朝征夷大将軍になった」の一言で片づけられてしまうが、

実際には多くの御家人が支え、消されていったものもいるというみすごされそうな

個々の現実があったということがあるが、漫画作家にも同様、個人としては壮絶な

戦いを生き抜いたとしても、誰知れず消えて行くという方々もいるという現実が

あるということが、編集長の言葉の裏に感じられて、なにか落ち込んだりもした。

 

最後に、「漫画や物語なんてなくても生きていける。でも絶対に必要。」

ということを語っていた。

多くのアートやコンテンツに携わる人たちから同じ言葉を聞くことがある。

自分もその一人だが、その誰もが、

「生きていける」と「でも絶対に必要」との間が飛躍していると感じる。

必要だということは、感覚では、体では、わかっているのだけど、

未だ、それが

万人にも刺さる言葉になってない。

誰もまだそれを言葉にできていない。

芸術なんて、そんなものいらない。という人間にも

その意義が確実に伝わるように、刺さるように、

言葉なのか、現物なのか、わからないのだけど、

そういう、トドメが欲しい。□