制作日記(二人展まで67日)

 

何かが足りない。

 

でもそれが何かがわからない。

 

思いついたままに、ピアノを描き足してみる。

 

いつかどこかでみたピアノの記憶をひっぱってきて、絵に見所を作ってくれないかという他力本願のような思い付きだ。

でもそんな思い付きは、絵に定着していかない。

でも、同じようなことをやっていて、うまくい定着させている人もいる。

そんな作品を見ると、そこには「どうして、なんのために、そこにピアノがあるか」というリアルがちゃんとあったうえで、描かれている。

例えば、実際に本人が、空き地にピアノを廃棄した体験があって、放置されたピアノが1か月くらいかけて風化していくもの悲しいさまを目撃したことを描いた、とか。

優れた絵にある、テーマや、ギミックは、思い付きではない。きっちりとした何らかの強い動機や目的、根拠を持っている。だから、それはなんとなくではなくて、必須要素として描かれ、見る人間の目にも、とけこむように、違和感なく入ってくる。

 

俺は、頭で描いている。

そんな強い目的意識や動機がないまま、おもしろいものを捏造しようとしている。

だからその浅はかさや、あざとさが絵に残ってしまう。

 

自分の目で観たこと、体験したこと、感動はたくさんしているはずなのに、絵が出来上がらない。

きっと感動はしていても、自分の脳裏に焼き付いて、血となり肉となり、自分の一部になっていないのだろう。

それはやっぱり、ただ感動を消費しているだけだからだろう。

 

描く前にハートを鍛えろ。とか大昔に言われたことがあったけど、まさにそのとおりだと今改めて思う。

まあいろいろぐだぐだ書いたけど、それでもなんとかして作らなくてはいけないのだけど。□