業務をしながら、個展をする僕の姿をみて、
かつての上司が「二刀流だね」と言ってくれたことがある。
だけど、大谷翔平選手のような「本物の二刀流」を見ると、
自分は「なんちゃって」でしかないことが浮き彫りになる。
とは言え、そんなことはずっと前から気づいちゃっているので、騒ぐほどのことではない。
やりたいことが溢れている。
絵画を始めたことで、以前やっていた漫画やイラストレーターに手が回らなくなったが、別にやめたわけでもない。
機会や時間があればいつでも再開したいと思っていて、最近は、漫画を再開している。
絵画。
漫画。
イラストレーション。
コピーライティング。
やりたいことに片っ端から手を出している。
さらに、最近はこれらに加えて、
書道。
料理。
にも手を出したいと思っている。今すぐやりたいがいろいろな都合上抑えている。
前向きな表現をすれば、
「どんなことにも興味を持って挑戦している」ということになるが、
後ろ向きな表現をすれば、
「今、向き合っていることができなかったときの逃げ道作り」
と言える。本当の姿はこっちの方にあると思う。
遠藤周作の小説「沈黙」で、キリシタンを自称するキチジローが拷問を受けるたびに、あっさりと信仰を捨てるが、いろいろな損得にであったりして信仰に戻ったり、やっぱり逃げたり、を繰り返している。
なんだこいつは。と思ったりもしたが、今思うと、あれはほぼ今の自分の姿に重なる。
彼のことをさげすむ資格は、僕には無い。
今となってはむしろ親愛感すら覚えてくる。
何か、ひとつの「道」を生涯をかけて追い続けることへのかっこよさ、あこがれはずっとあって、それにしがみつこうとやってきたが、どうやらそういう生き方は、憧れで終わりそうだ。
ひろーーーーーーーーーーーーーーく、
そして、
浅ーーーーーーーーーーーーーーーく。
自分は、そういう人間なのだと思う。
これまではずっとそういう自分が大嫌いであったが、最近は、もうこれしかできない。というあきらめが入り始めた。どこで決定してしまったのかはわからない。20代の前半とかでもう見えていたのかもしれない。となると、それ以降の「なんとか一筋に生きよう」としていた健気な努力は全て無駄だった。ということになる。
要するに、「なんちゃって道」なんだ、僕の人生って。
何一つ飛び出ることはない。全部普通。オールスリー。
いいじゃん、それでも。
もっともっと早く気づけていたら、意外と「なんちゃって道」一筋という、ねじれた強みを味方にしていたかもしれない。
でも、思った以上に時間がかかるんだよね、人生って。□