★なんちゃって道

 

業務をしながら、個展をする僕の姿をみて、

かつての上司が「二刀流だね」と言ってくれたことがある。

 

だけど、大谷翔平選手のような「本物の二刀流」を見ると、

自分は「なんちゃって」でしかないことが浮き彫りになる。

とは言え、そんなことはずっと前から気づいちゃっているので、騒ぐほどのことではない。

 

やりたいことが溢れている。

絵画を始めたことで、以前やっていた漫画やイラストレーターに手が回らなくなったが、別にやめたわけでもない。

機会や時間があればいつでも再開したいと思っていて、最近は、漫画を再開している。

 

絵画。

漫画。

イラストレーション。

グラフィックデザイン

コピーライティング。

 

やりたいことに片っ端から手を出している。

さらに、最近はこれらに加えて、

書道。

料理。

にも手を出したいと思っている。今すぐやりたいがいろいろな都合上抑えている。

 

前向きな表現をすれば、

「どんなことにも興味を持って挑戦している」ということになるが、

後ろ向きな表現をすれば、

「今、向き合っていることができなかったときの逃げ道作り」

と言える。本当の姿はこっちの方にあると思う。

 

遠藤周作の小説「沈黙」で、キリシタンを自称するキチジローが拷問を受けるたびに、あっさりと信仰を捨てるが、いろいろな損得にであったりして信仰に戻ったり、やっぱり逃げたり、を繰り返している。

なんだこいつは。と思ったりもしたが、今思うと、あれはほぼ今の自分の姿に重なる。

彼のことをさげすむ資格は、僕には無い。

今となってはむしろ親愛感すら覚えてくる。

 

何か、ひとつの「道」を生涯をかけて追い続けることへのかっこよさ、あこがれはずっとあって、それにしがみつこうとやってきたが、どうやらそういう生き方は、憧れで終わりそうだ。

 

ひろーーーーーーーーーーーーーーく、

そして、

浅ーーーーーーーーーーーーーーーく。

 

自分は、そういう人間なのだと思う。

これまではずっとそういう自分が大嫌いであったが、最近は、もうこれしかできない。というあきらめが入り始めた。どこで決定してしまったのかはわからない。20代の前半とかでもう見えていたのかもしれない。となると、それ以降の「なんとか一筋に生きよう」としていた健気な努力は全て無駄だった。ということになる。

 

要するに、「なんちゃって道」なんだ、僕の人生って。

 

何一つ飛び出ることはない。全部普通。オールスリー。

 

いいじゃん、それでも。

もっともっと早く気づけていたら、意外と「なんちゃって道」一筋という、ねじれた強みを味方にしていたかもしれない。

 

でも、思った以上に時間がかかるんだよね、人生って。□