ザナドゥへの想い(1)

 

多感な幼少期に、

喉から手が出るほど欲しいと渇望していたのに

経済的な理由等でどうしても手に入らないものがある。

 

結局それは「我慢」や「辛抱」ということばで封印され、耐え偲び、時間が過ぎるのを待つしかない。

だけど、欲望そのものは、容易に消えるものではなく、心の奥底でごうごうと燃え滾っている.....。

それから何十年もの歳月が過ぎて大人になり、自らが経済性を持ったことで、そのときの「欲望」は別のもので代替されたりしているが、当時脳の奥深くに封印された「渇き」は、化石のようになってこびりついていて、いびつに神格化されてしまっていたりする。

 

このたびEGGコンソールにより、
ザナドゥ」がNintendoSwitchで遊べるようになった。

 

 

1985年発売のパソコンゲームである。

当時のパソコンは高価であったし、現代のようにパーソナルでもなく、一部の機械好き、プログラム好きの技術者が触るような代物だったと思う。

とても小中学生に手の届くものではない。

対し、当時のパソコンには、その容易に触れる事が出来ない壁の向こうに、魅力にあふれた数々のRPGアドベンチャーゲームの名作が発売されていた。「ザナドゥ」もその1つで、というかそれらの中でも販売数40万といわれる圧倒的な人気を誇ったゲームだった。

 

そんな壁の向こうに手が届かない当時の小中学生たちは、「ログイン」やら「ベーマガ」「コンプティーク」「BEEP」といったPC専門誌(のゲーム記事)を食い入るように見つめ、遊ぶことのできない鬱憤をなんとか発散させ、紙上でプレイしたような想像を働かせて楽しむしかなかった。

あれから40年近くが経った今、さあ遊んでください。と家庭用ゲーム機に880円という価格で登場したのである。これは(極私的ではあるが)、間違いなく事件なのだった。

(つづく)□