「人は「融通」をきかせて生きている(それでいいじゃないか)」
ということなのだと思う。
銀座ミシュラン星付きの名店と、スーパーの冷凍食品を一流芸能人が食べ比べても、冷凍食品が美味しい!と言ってしまうのは、
すなわち、ものすごい手間と時間をかけて作った名店の料理であっても、量販された冷凍食品であっても、あるボーダーラインより上であれば多くの人には「同じもの」とみなしている。ということである(芸人だろうと一般人であろうと、人は人。人類、みんな同じなのである)。
僕らの口にしているものは、もはや、スーパーで並ぶような日常的なものであっても、ふつうの人には区別がつかないほど、トコトン、おいしくなっちゃっているのである。
究極の料理以外は食べられない。それ以外は体に毒。という人であったのなら、無理をしてでも究極の料理を食べなくては生きていけないのだろうけど、そんな人はいない。
一番の理想は、「究極の料理」ということになるのだろうが、経済的にも味的にも優しいものであれば、別に究極でなくても、日々を楽しく生きていける。
「そこそこでいい」という基準を決めることができるのは、人のもつ優れたスキル「融通」なのだと思う。
取説に書かれたルールや、正論は、確かに究極の正しい姿なのかもしれないが、
その通りに守らなくても、世界は回っていく。
ほどほど。そこそこ。ルールを守り、ルールを破る。
そのバランスを見極めることが「融通」であり、
裏返せば、「融通」をきかせられる人が「知性」を持つ者であるともいえる。
「頭がいい」というのは、頭の回転が速いとか記憶がいいということ以前に、「柔らかい」=「融通がきく」ということに尽きると思う。□