自らを感動せしめし多くの漫画、アニメ、小説、映画、その他もろもろの作品の素晴らしさを、どうしても人に伝えたい。と思うことが多い。
が、いくら人に口頭で伝えてみても、自分が感動したのと「同じ量の感動」「同じ質の感動」が伝わるとは限らない。
というか、無理だ。伝わるほうがおかしい。伝わるわけがない。
エヴァンゲリオン破を見て興奮した自分は、その作画技術を「世界一」と絶賛したが、誰もが世界一とは思っていまい。
または、エンドレスエイトをアヴァンギャルドと絶賛してみても、手抜きと怒る人も居る。
逆に、サマーウォーズを大絶賛した兄に対し、自分はヴァーチャル世界と家族の絆が作品の中に同居していないと評した。
「何故分からないんだ?これだけすごいのに!?」
とその伝わらない様をもどかしく思ってみたり、それでも伝えたいという欲望が燃え上がったりを繰り返すのだが、よくよく考えると、自分は作品からそういう欲望も含めたエネルギーをもらっている。それだけは確かだ。
そして、そのエネルギーをまるで燃料のように燃え上がらせて、自分の作品へと結晶化している。
それだけでいいではないか、と最近思うようになってきた。
伝えたいと思う欲望も、実は自分の制作のためのエネルギーだったのだ。
むしろ伝えたいことが本当に口頭だけで伝わってしまったら、自分の制作のエネルギーが一緒に逃げていってしまったかもしれない。
伝わらなくて良かった。....でもやっぱり伝えたい....。どうしたいの、一体?□