落ち着きのない男

 

落語に「時そば」という噺がある。

 

蕎麦を食べた男が、勘定のとき、ひとつ、ふたつとカウントしながら店主の手の上に小銭を乗せていくのだが、途中「いま何時だった?」と質問を挟んで、店主が「九つでぃ」と答えたことにのせて、カウントをちょろまかすのである。
割り込みが入って、肝心の部分が差し替えられてしまうという滑稽噺である。

こんな噺は、噺だけならば笑って終わりだが、あながち噺だけでもない。

落ち着きのない自分はまさにこんな噺のようなことをしょちゅうやっている。

部屋に物を取りに行くが、別の物を部屋で見つけてそれに目を奪われて、肝心の物を取り忘れて戻ってきてしまう。

頭の中で次々と要件がでてくるんだけど、後から出てきた要件に上書きされちゃって、前の要件を忘れちゃう。

独り相撲ならば仕方がないとあきらめもつくけど、他人をまきこんで迷惑をかけることもしばしば。

人の話を聞いているときも、頭の中に別の要件がふとわいてくると、そっちに気を向けてしまって他人の話を聞き落してしまう。
話を聞けたとしても、後からわいてきた別の要件に上書きされて、忘れてしまうことすらある。

そういうのがすごく顕著になりました。

歳のせいか。もしくは病ではないのか。

体は一つしかないから、同時にできることは一つしかないのだけど、ふつうのひとならば、それを頭の中でそれをきれいに並べて、きっちり一つ一つ実施していく。のだろうけど、僕にはそれができないようです。聖徳太子は十人の人の話を同時に聞いたとかいう伝説があったと思うけど、僕にはそんな芸当は全くできません。

直すより、この病とどうやってつきあっていくか考えていくしかないのかもしれない......。□