以前、探偵ナイトスクープで、
高倉健の映画を観たおっさんが、
「俺にもそれくらいできる!」と、
ポケットに手を突っ込み、眉間にしわを寄せ、
「自分は不器用ですからっ」とか吠えていた。
「自分も高倉健くらいの演技ができるから見に来てほしい」
.......というような依頼内容だったと思う。
かつて、高倉健の映画を観た直後の男たちは、
誰もが健さんの顔になりきって、
ぞろぞろと劇場から出てきたという。
だけど、傍から見たらそれは単なる自分だけの思い込みでしかなくて、
どう見ても健さんには似ても似つかない。
健さんの演技には魔力があって、見たらすぐ誰もが、
健さんになりたいと思うし、なれると思い込んでしまう。
本当に、すごい仕事というのは、
「僕にもできそう」
「それくらい僕にもできた。先を越された」
なんて、見る側に思わせてしまう。
簡単そうにやっているようにみえるのかもしれない。
でもそれは本当に氷山の一角であって、
そこたどり着くには、裏にとんでもない遠い道や苦難の道があるものである。
自分にも、誰かの仕事をみているとき、
「自分も、それくらいできるのでは」
などと思ってしまうことがある。
これが、うぬぼれである。
健さんの映画を観てなりきっちゃっているおっちゃんたちを笑うことなんてできない。
これまで、うぬぼれで、いろいろなことに手を出してきた。
マンガを描いてみた。
ブログを書いてみた。
絵画を描いてみた。
やる前には、できる。と確信しているんです。
もしかしたら自分は天才かもしれない。
バズっちゃったらどうしよう。とか本気で思ってる。
だけどどれに手を出してみても、全部中途半端です。
その一つでも、死ぬ気で磨き上げたら、群を抜いて出るものがあったかもしれない。
そう思っていること自体もまだ、うぬぼれているのだと思う。
だけど、そこまでしがみついていくパワーなんてないんだな。あると信じたいだけで。
最近、新しいことを始めてみても、すぐに見えない壁のようなものにぶつかっている。
そしてそれは、いつも同じ壁であることに気づいた。
またこの壁か。と
自分の世界を、オープンワールドのゲームだったとして、果ての果てまで行ってみたら、これ以上行っちゃダメ。という壁にあたる。
なんだよ、オープンワールドじゃないのか、と踵を返して別の方向に突き進んでいくけど、結局そこにもまた同じ壁が待っている。
どこかに、もっと奥へ抜けられる穴が開いたところはないかと、別の方向に向かって歩くんだけど、やっぱり壁がある。
結局、壁の中で自分の世界は規定されている。
世の中で目覚ましい活躍をする人たちにも、きっと壁というのはあるんだろうけど、彼らには、それをぶちこわしてさらなる奥へ行く力や、運や、勢いのようなものがあったのではないかと思うのです。さらに継続していく力も。
うぬぼれが、うぬぼれであることに気づく瞬間。
これもひとつの挫折なのかもしれない。人生は挫折でできている。□