光る君へ

 

大河ドラマについて。

 

1年間もドラマを見るなんてとても無理だ。

ずっとそう思っていたが、鎌倉殿。家康。と、2年間見てしまった。

 

3年目の今年は「光る君へ」。

源氏物語が生まれるまでの紫式部の物語らしいのだが、正直なところ、どうやってそれで1年間におよぶドラマを描くのかが、イメージができない。

大河ドラマの醍醐味である合戦もない。どのように面白くするのか想像ができない。

 

ただ「紅白歌合戦」でも気づいたことだが、最近は、作り手の苦労を思い始めるようになっていて、やすやすと「面白くない」とか言えないようになっている。作ってもいないお前が、よくも頑張って作っている人の悪口を言えるものだ。という戒めが、もう一人の自分から差し込んでくるのである。

映像業界の先鋭たちが、徹底的に時間や手間をかけて、1つ1つ作り上げている。その苦心をふみにじるようなことはとても失礼に当たるのではないか。

 

大河ドラマって蝉の一生みたいなものだ。

今年の放送に間に合わせるために、昨年の家康で盛り上がっているときにはもう撮影に入っていただろうし、さかのぼれば、脚本はその1年くらい前から始まっているだろうし、企画はさらにその1年前。。なんてことになる。

我々の目に触れる1年の前に、5年位の歳月が積み重なっているのだろう。これは、もう蝉の一生ですよ。

こつこつと土の下で成長させ、短く花開く一生のような。

 

で、「光る君へ」だが。

うーん、おもしろいんだけど...?なんだろうこれは。

暴力を使わない権力争い。です。毒薬も使うし呪いも使う。病の原因もわからないことが多い時代だから、それを呪いだと信じていたりする。そんな技術、社会の未熟さの上に立つ、それでも人間はどの時代でも権力が欲しい生き物である。ということを描く。大臣になってもそのポストやそれ以上を得るために、天皇すら引きずりおろそうとしている。

観ていて退屈はしない。だが、観終わったあと、やはり、どこへ進んでいっているのか。が、未だつかめずにいる。この先に源氏物語が生まれるということがつながってこないんだな。

 

個人的な要望としては、潤沢な時間とお金があるからこそ「再現」に見えてしまうところを、抑えてほしい。例えば、現代の再興技術で当時の人たちが着ていたであろう着物を作ったら、それはすごいものができてしまうのだが、当時の人はそんなものは着ていない。「再現」「作り物」感が出てしまう。

当時の技術であれば、最善であったとしてもたぶん、ほどほどにくすんでいたり、ムラがあったりしたと思う。あえて、当時は「それでも汚かった」というか。そんなところをきっちり表現してほしい。□