5年ほど前のほぼ日手帳を読み返している。
なんだか、栄光の日々です。
1ページ1ページが、とにかく、楽しそうでいて。輝いていて。
自分だけじゃない。
誰もが「昔はよかった」と、現在に比べて過去の方が絶対によかった。と振り返っている。
2024年の自分が、2019年をよかったと振り返っているように、
2019年の自分は、2014年をよかったと振り返っているのだろう。
2014年の自分は、2009年をよかったと振り返っているのだろう。
2009年の自分は、2004年をよかったと振り返っているのだろう。
そうやってたどっていくと、
人にとって、人生で一番良かった時は「生まれた直後」ということになる。
逆に、
2029年の自分は、最悪と感じている2024年現在の自分すらをも、よかったと振り返るのだろう。
2034年の自分は、2029年の自分をよかったと振り返る。
そうやってたどっていくと、人にとって、
人生で最悪の時は、「死ぬ直前」ということになる。
すなわち、人は生まれた瞬間という「最高」から、
死ぬという「最悪」に向かって生きていくのである。
自分にとって、今はまさに苦しみの絶頂なのだが、
5年後の自分からみたら、この今の時間が「まだまし」と思うくらい苦しいのであれば、人が生きていくということは、どれだけ苦しいものなのか、と途方に暮れてしまう。
確かに、生まれた直後の子供を眺めた時、その一切欲望のない、無垢で、純粋な、ただいるだけで光り輝いているその姿に、仏の姿を重ねてしまった。
「アルジャーノンに花束を」とか「レナードの朝」は、そんなことを文学や映像に残したものなのかもしれない。
あれらは、生まれた瞬間と死ぬ瞬間をイコールでつないでいたけど。
まるで「いってきます」「ただいま」みたいに。
ああ、それは「猿の惑星」。