現在所属している絵画団体の展覧会が夏に開催された。
だが会場の立地の悪さもあってか、客足は年々減るばかりである。
「展覧会を開催する意味はあるのか」
所属するメンバーからそんな声が聞こえてきた。
会場を借りなくてはいけないし、絵を運送するにも多額のお金がかかり、陳列もしなくてはならないから手間もかかる。それでいて誰も観に来てくれる人はいない。
果たしてこの展覧会に、開催の意味はあるのか。と。
自分にも今年は大きな環境の変化があり、絵画制作に時間が割けず力も入りきれず、弱気になっていたこともあって、この展覧会を来年から取りやめて小品を中心とし、狭めの会場に変更した展覧会に変えてはどうか、と思ったりもした。
居酒屋で酒を飲んだとき、そんなことを先生に伝えた。
先生は言った。
「出品すること、開催することに意味がある。
やめるなど言語道断だ。
お客さんが来ないならば、来てもらえるように工夫しなくてはいけない。
こんなことで退いたら、長い目で組織はどんどん弱まって、消えてしまうぞ。」
自分は「退く」という麻薬に侵されていたように思う。
目先のベネフィットや面倒、お客さんが来ないという言い訳に寄りかかって、発表することから逃げる口実にしていたのである。
「常に前に出る」
環境や周りの理由を言い訳にして逃げることは簡単である。
だけど逃げた後どうなるのか。
これ以上良くなるのだろうか。否、きっと悪くなるだろう。
まず、前に出てから、もっと良くする方法を考えるべきだ。
この一年、自分はおおきく後退をした。だが、今大きな結論を手に入れて、再び前に進むことができるように思う。
回り道ばかりだけど、また明日から前に進んでいけるようにしたい。(つづく)□