僕が絵を描いても描かなくても誰も困らない。
絵は世の中に無くても誰かが困るものではない。
だけど、仮に会心の一枚が描けたとして、
それをみた誰かが、
「これが私の見たかった絵です。
これが私の欲しかった絵です。」
という反響があれば、
それは絵師にとってのホームランということになる。
アートというものは、目の前に現れるまで、
誰かが求めるものではないし、
誰もその存在を知らない。
だけど、ぽんと目の前に出た瞬間、
それが目に留まる作品であれば、
「それがみたかった」
「それがほしかった」
という反響になる。
iPhoneがこの世に現れたときもそうではなかったか。
充分満足していたのだ。
それは電話を持ち歩きたい。メールを書きたい。
というお客さんの具体的な要件を叶えたもので、
お客さんはそれで十分満足していたし、
それ以上の要望を持っていなかったし、知らなかった。
だけど、iPhoneが現れたとき誰もが口をそろえて言った。
「それが私たちが欲しかったものです」
つまりiPhoneも、絵画同様、「アート作品」なのである。
これからの時代の全てのプロダクトは「アート作品」になると思う。
だけど自分がこれまで絵画を通じてやってきた、
トライアンドエラーは、どちらかといえばエラーアンドエラーである。
優れたアート作品を作るためには、ほとんどがエラーであり、
その中でごくまれに、うまくいったかもしれないというようなものが
出てきたりする。そういう途方もない繰り返し作業が必要になる。
これと同様の活動を、資本主義、商業主義の実業の世界で、
実現すべきかなんて考えると、とても無理だと思っている。
99%失敗で1%が成功というアートと同じ文法を、資本主義が耐えられるか。
99%の無駄に投資をする忍耐力や経済性を持つ体質に変えていかなくてはならないということです。
これからの時代、これまでのお客様の要望を叶えるものづくりから、
見えない要望を掘り起こしていくものづくり・ことづくりに、
世界が変わっていく必要があります。
いろいろ大変かもしれないけど、なんとか突破できるようもがいてみたい2023年です。□